1999年 エベレスト街道トレッキング 5
2011/10/15(Sat) Category : 山ノ想ひで
5日目の朝。前日の晩にたっぷりと塗った日焼け止めクリームが功を奏して、火災現場はすっかり跡形も無くなり、キレイさっぱりとしていた。
「よし、今日も一日頑張ろう!」
5日目 タンボチェ(3870m) 〜 ペリチェ(4252m)
6日目 高度順応日

今日の目的地ペリチェの標高は4253m。富士山をとっくに越えている。一体どんな場所なのか想像もつかない。
出発してまもなく、後ろの方から僕達を呼ぶ声がした。少し遅れて出発してきたシルビィー達だ。陽気な二人は、「それじゃあ、また後でね」といって、そそくさと追い抜いていった。その後も、途中の茶店で追い越したり、一緒に歩いたりして、お互いそれぞれのペースでペリチェに向けて前に進んだ。
雨季は明けたばかりで、本格的なトレッキングシーズンが始まるにはもう少しのこの時期、トレイルで見かけるトレッカーの数はまだ少ない。毎日同じ3つ4つのグループにしか出会わない。みんな同じルート・日程でカラ・パタールを目指しているからシルビィー達と同様に毎日どこかで彼らとすれ違う。トレイルを歩きだして5日にもなると徐々に顔見知りになってきて、「Good morning!今日は早いねぇ。体調は大丈夫か?」 「今日はどこまでだい?」なんて具合で日増しに一体感が生まれてきた。

時々やってくるヤク(高山牛)の群れを連れた地元の牛使いの集団に気をつけて歩く。ヤクに蹴飛ばされたり押されたりして谷底に滑落なんてたまったもんじゃない。
相変わらず歩きやすいトレイルを前に進むと、段々畑の集落が現れた。この辺りまでやって来ると針葉樹林も姿を消し始め、4000mを越えた辺りからは森林限界に達したようで、すっかり山の雰囲気が変わって背の低い草とコケ・地衣類の世界となってしまった。
不思議なことに、4000mを越えても体調はすこぶるよくて、頭痛や吐き気といった高山病の兆候もない。時々茶店で一緒になる他のグループの中には、明らかに体調の悪そうな人もいて、そんな人を見ていると自分はただのバカなんじゃないかと思ってしまう。

そしてそのまま何も体に変化の無いままペリチェ(4252m)に到着。
ペリチェは数件の宿と畑が広がる小さな集落で、僕達はとても元気で母親思いの姉妹とお母さんの3人で切り盛りをしてる宿でお世話になることにした。シルビィーとジョーの2人はもう少し先の宿で泊まっている。
標高4200mの夜。驚くほど静かだった。
その日の夜は、2人の娘さんに簡単な手品をしてあげたり、お礼に歌を披露してもらったりして、楽し時間を過ごした。ガイドのシバと娘さんとが歌を歌っている時、ふと窓から空を見上げると、吸い込まれるくらい真っ黒の夜空に、これまた驚くほどびっしりと詰まった星々があたり一面に広がっていた。
ビックリした僕は慌ててカメラを持って庭に飛び出し、長い時間空を見上げていた。
6日目は高度順応日ということで、宿の前にある丘に登って体を慣らして、昼はまたゆっくり過ごして時間を潰すだけだ。そんな訳で、朝からのんびりモード全開だった。

宿の姉妹は物資を仕入れにナムチェバザールまで行くため、朝早くからせっせと大きな籠を背負って下山の準備をしていた。二人が帰ってくるのは翌日ということで、お母さんは少し寂しそうに見えたけど、姉妹は朝から元気に「それじゃぁ、行ってくるっぺよ」と僕達に手を振って宿を出ていった。

姉妹が出ていった後、朝日に照らされた山々を眺めながらのんびり歯を磨き、横ではシバが姉妹の代わりに宿で飼っている牛に餌をやっていた。
遅めの朝食を摂った後、高度順応のためのハイキング開始。
そんなに高くないと思っていた丘だったのが、歩いても歩いても頂上に着かない。周りの山が大きすぎて目の前の丘の大きさがどうもわからなかったんだろう。

標高も4000m以上あるだけあって、さすがにいつも以上に息が切れる。なんだか変な感じだ。

やっとの思いで登り切った頂上からはペリチェの町がよく見え、丘の逆向こうの景色も一望できた。しかし、また雲が出てきたのでその向こうに見えるはずの6000、7000m級の山々をはっきりと望むことはできなかった。実はこの辺りからだと、もうエベレストも十分よく見えるはずなんだけれども、毎日現れる雲のお陰で僕はまだその姿をほとんど見れていなかった。
森林限界ももう超えてしまっている。明日からは高山病の危険性も出てくる4000m、5000m圏でのトレッキング。明らかに昨日までの雰囲気とは違うというのを、体で感じる。エベレストは僕の目の前に現れてくれるんだろうか。

この日の晩は翌日のためにしっかり食事を摂って(毎日しっかり摂ってはいるが)、しっかり睡眠をとる事にした(十分なくらい毎日寝てもいたが)。
明日は4920m地点のロブチェまで行き、
2日後には遂に最終目的地のカラパタール(5545m)に挑戦だ。
「よし、今日も一日頑張ろう!」
5日目 タンボチェ(3870m) 〜 ペリチェ(4252m)
6日目 高度順応日

今日の目的地ペリチェの標高は4253m。富士山をとっくに越えている。一体どんな場所なのか想像もつかない。
出発してまもなく、後ろの方から僕達を呼ぶ声がした。少し遅れて出発してきたシルビィー達だ。陽気な二人は、「それじゃあ、また後でね」といって、そそくさと追い抜いていった。その後も、途中の茶店で追い越したり、一緒に歩いたりして、お互いそれぞれのペースでペリチェに向けて前に進んだ。
雨季は明けたばかりで、本格的なトレッキングシーズンが始まるにはもう少しのこの時期、トレイルで見かけるトレッカーの数はまだ少ない。毎日同じ3つ4つのグループにしか出会わない。みんな同じルート・日程でカラ・パタールを目指しているからシルビィー達と同様に毎日どこかで彼らとすれ違う。トレイルを歩きだして5日にもなると徐々に顔見知りになってきて、「Good morning!今日は早いねぇ。体調は大丈夫か?」 「今日はどこまでだい?」なんて具合で日増しに一体感が生まれてきた。

時々やってくるヤク(高山牛)の群れを連れた地元の牛使いの集団に気をつけて歩く。ヤクに蹴飛ばされたり押されたりして谷底に滑落なんてたまったもんじゃない。
相変わらず歩きやすいトレイルを前に進むと、段々畑の集落が現れた。この辺りまでやって来ると針葉樹林も姿を消し始め、4000mを越えた辺りからは森林限界に達したようで、すっかり山の雰囲気が変わって背の低い草とコケ・地衣類の世界となってしまった。
不思議なことに、4000mを越えても体調はすこぶるよくて、頭痛や吐き気といった高山病の兆候もない。時々茶店で一緒になる他のグループの中には、明らかに体調の悪そうな人もいて、そんな人を見ていると自分はただのバカなんじゃないかと思ってしまう。

そしてそのまま何も体に変化の無いままペリチェ(4252m)に到着。
ペリチェは数件の宿と畑が広がる小さな集落で、僕達はとても元気で母親思いの姉妹とお母さんの3人で切り盛りをしてる宿でお世話になることにした。シルビィーとジョーの2人はもう少し先の宿で泊まっている。
標高4200mの夜。驚くほど静かだった。
その日の夜は、2人の娘さんに簡単な手品をしてあげたり、お礼に歌を披露してもらったりして、楽し時間を過ごした。ガイドのシバと娘さんとが歌を歌っている時、ふと窓から空を見上げると、吸い込まれるくらい真っ黒の夜空に、これまた驚くほどびっしりと詰まった星々があたり一面に広がっていた。
ビックリした僕は慌ててカメラを持って庭に飛び出し、長い時間空を見上げていた。
6日目は高度順応日ということで、宿の前にある丘に登って体を慣らして、昼はまたゆっくり過ごして時間を潰すだけだ。そんな訳で、朝からのんびりモード全開だった。

宿の姉妹は物資を仕入れにナムチェバザールまで行くため、朝早くからせっせと大きな籠を背負って下山の準備をしていた。二人が帰ってくるのは翌日ということで、お母さんは少し寂しそうに見えたけど、姉妹は朝から元気に「それじゃぁ、行ってくるっぺよ」と僕達に手を振って宿を出ていった。

姉妹が出ていった後、朝日に照らされた山々を眺めながらのんびり歯を磨き、横ではシバが姉妹の代わりに宿で飼っている牛に餌をやっていた。
遅めの朝食を摂った後、高度順応のためのハイキング開始。
そんなに高くないと思っていた丘だったのが、歩いても歩いても頂上に着かない。周りの山が大きすぎて目の前の丘の大きさがどうもわからなかったんだろう。

標高も4000m以上あるだけあって、さすがにいつも以上に息が切れる。なんだか変な感じだ。

やっとの思いで登り切った頂上からはペリチェの町がよく見え、丘の逆向こうの景色も一望できた。しかし、また雲が出てきたのでその向こうに見えるはずの6000、7000m級の山々をはっきりと望むことはできなかった。実はこの辺りからだと、もうエベレストも十分よく見えるはずなんだけれども、毎日現れる雲のお陰で僕はまだその姿をほとんど見れていなかった。
森林限界ももう超えてしまっている。明日からは高山病の危険性も出てくる4000m、5000m圏でのトレッキング。明らかに昨日までの雰囲気とは違うというのを、体で感じる。エベレストは僕の目の前に現れてくれるんだろうか。

この日の晩は翌日のためにしっかり食事を摂って(毎日しっかり摂ってはいるが)、しっかり睡眠をとる事にした(十分なくらい毎日寝てもいたが)。
明日は4920m地点のロブチェまで行き、
2日後には遂に最終目的地のカラパタール(5545m)に挑戦だ。
